BACK/ NEXT / INDEX



Chapter T

シンデレラは眠れない  17


「梨果?」
「ねぇ、どういうことなのよ?答えて」
噛みつかんばかりに詰め寄る彼女の指さす先にあったのは、梨果側の招待客の集う唯一のテーブルだった。
そこには姉の柚季、妹の杏、友人の曽田が座っている。
だが、彼らの他にもう二人、自分が呼んだ覚えのない顔が見えたのだ。
「説明してよ。何で母とあの人がいるのかを」

入口を入ってすぐに歩みを止め、その場から動かなくなった新郎新婦の様子に、会場がざわつき始める。会場を仕切るバンケットスタッフや介添えの女性も背後から小声で促し何とか彼女を歩かせようとするが、梨果は頑としてそれを受け付けようとはしない。
「梨果、とにかく席まで行ってくれ」
「嫌よ。いまここで、ちゃんと説明してくれるまで動かないから」
「後で順を追って話すから」
「今でなきゃ嫌だって言ってるでしょう?」
このアクシデントに、二人を照らしていたスポットライトが一時逸らされ、会場は薄暗い照明のままざわめいている。騒ぎを聞かせまいというスタッフの配慮か、少し音量を上げたBGMだけが予定通りに流れていく。
どうにも動こうとしない梨果に業を煮やした一真は、半ばだき抱えるようにして一旦彼女を扉の外へと連れ出した。
「梨果、どうしたの?」
この異変を見た柚季が横にあるスタッフ用の出口から顔をのぞかせ、二人の方へと近づいてくる。その後ろには、今日の披露宴の出来を確認に来ていたと思しき、ホテルの副支配人の姿もあった。
「どうしたもこうしたもないわ。何で私が招待した覚えのないあの人たちが……母さんと、井川さんがここにいるのよ?」
柚季たちと一緒の席にいたのは姉妹の母親の美咲と、そして井川という男性だった。
井川は桐島グループ社長である父、継春の右腕と言われ、将来は桐島を背負って立つ人物と目されている男性だ。そして、何より現在は梨果の妹である杏の婚約者でもある。
「姉さんは……もちろん、あの人たちが来ることを知ってたのね?」
剣呑な視線を向けられた柚季が困惑した表情で一真を見上げた。
「ええ。それは一真さんが……」
「一真さん?ってどういうことよ。何でこの人がウチの事情にわざわざ口を挟んでくるわけ」
自分に向けられた人さし指ごと梨果の手を掴んだ彼は、ゆっくりとそれを下におろした。
「今ここで、どうしてもその説明をしなきゃならないのか」
「当然よ」
彼女の即答に、一真は諦め顔でため気をつく。
「式をすると決めてからしばらくして、俺のところにお義母さんから連絡があったんだ。『どこか片隅でいいから、娘の花嫁姿を一目見せてもらえないだろうか』ってな。ただ、端から式には呼ばないと決めているお前に言ってもどう答えるかは大体想像がつく。だが、彼女はお前の母親だろう。そりゃ娘のドレス姿は見たいもんだろうって思ったから、どうしたらいいか柚季さんに相談したんだ」
姉の柚季も最初は迷ったらしい。父親と梨果の確執がかなり長期にわたり根深い問題として存在することは家族の間では周知の事実だ。そしてそれに引きずられるかのように、家を出た梨果と母親の間にもいつしか埋めがたい溝ができてしまっていた。
その直接の切欠がなんだったのかは、結婚して家を離れてしまった柚季には知る由もなかったが、少なくとも彼女が実家に戻ってきてからのここ数年の間は、母子の間は上手くいき、大きな波風が立つようなこともなかったのだという。
父親と梨果の間を取り持つことは不可能に近いが、もしかして母親となら和解の余地があるのではないか……
柚季の言葉を聞いた彼は、梨果の母親の披露宴への出席を密かに画策した、ということだった。
「それで、何で井川さんまで一緒についてくるわけよ?」
「それはね……」
柚季の言い分によると、母親は正式な出席については、かなり承諾を渋ったという。端から父親である夫は招かれず、自身も新婦の母であるにも関わらず、新郎に招待されるという異様な状況に尻込みしたのだ。
「それで一人では心もとないなら、誰かエスコートしてくれる人も一緒に、って一真さんが言ってくれて。井川さんなら落ち着いているからお母様といてもそんなに不釣り合いには見えないし、杏の婚約者でもあるから全くの他人ってことでもないだろうからお願いしてみたのよ」
その間にも会場内からは入場用に短く編集されたBGMが一回りし、二順目の音楽が流れ始めるのが微かに聞こえてくる。
「と、大まかに言えばそういうことだ。もっと詳しく聞きたいなら式が終わった後にしろ。一晩中でも説明してやる」
一真はそう言うと、まだ納得のいかない顔で入場を渋っている梨果を抱えるようにして扉の前に行く。そして今度は彼女に立ち止まる隙さえ与えず、彼女の腰に手を回してそのまま正面の高砂の席まで引きずっていった。
一段高い場所に着いた梨果は、一真に先を促されてむっとしたものの、係の人に背後から指示されて仕方なく一礼し手席に着く。
それからしばらくは、滞りなく進行表通りに進んで行った。
もとから園田側の親族がほとんどの、親戚うちの宴会に近いような披露宴だったせいでスピーチも余興も予定しておらず、その点では主役の二人が特別注目される機会が少なかったのは梨果にはありがたかった。
仮にこんな状態で話を振られても、笑顔でそれに応えられるような気分ではなかった。
杏も柚季も、そして母親だって、井川を介しての父親と梨果の因縁は知らないはずはないのに、なぜ彼をこの場に入れたのか。
そして隣りに座る一真は果たして知っているのだろうか。
もしも彼女が父親の命に反発することなく、素直に従っていれば、今頃は井川が彼女の夫となっていたかもしれない男だということを。

井川は梨果の学生時代の一件にも一枚噛んでいたと思われる人物だった。彼は社長である桐島の影となり、数々の表沙汰にできないようなことにも手を染めていたはずだ。
有能ではあっても父親と同じように計算高く、冷酷な彼を嫌って遠ざけたはずが、今では親族同然に、堂々と妹の婚約者としてこの場にいるなんて。
梨果は苦虫を噛み潰したような顔で遠くの席に目をやった。
気の強い梨果でさえ扱いに苦しんだ怜悧な男を、あのおとなしい杏が御することができるとは到底思えない。それを承知の上でそんな男に妹に添わせようとする父親の非情さと、相も変わらず子を庇って抗うことさえせず、黙って父の言いつけに従うだけの母親の考えが彼女には理解できなかった。

すっと横から伸びてきた手にグラスを差し出され、梨果は驚いてびくりと体を震わせた。
「えっ?」
「乾杯だよ」
一真に腕を引かれ、椅子から立ち上がらされた彼女は、手にしたフルートグラスに注がれたシャンパンをじっと見つめた。
なぜこんなことに煩わされなければならないのか。たとえ仲の良い姉妹に関することであっても、もっと他人事とドライに割り切って、黙殺してしまうことができれば楽なのに。それができない自分に梨果は抑えようのない苛立ちを覚えた。
「おい、大丈夫なのか?」
乾杯の音頭が終わると同時に、彼女は何も考えずそのまま手にしたシャンパンを一気に飲み干した。それを見た一真が心配そうにこちらを見ているのを感じたが、それでもグラスを呷る手を止めることができなかった。
お酒は結構飲める方だという自負がある。ただ、その味自体が好きではないので日頃自分から進んで飲もうとはしないだけだ。
酒に逃げても何の解決にもならないことは充分理解している。だが、今日はそうでもしなければこの場を乗り切れないような嫌な気分だった。

本来、花嫁に注がれる酒は形だけのもので、高砂の席ではほとんど飲むことはない。にもかかわらず、彼女はそれからもグラスを空け続け、ついには給仕にボトルごとワインを持ってこさせ、それを勝手に飲み始めてしまった。
「梨果、いい加減にしておかないと潰れるぞ」
隣にいる一真はそんな彼女を見て眉を顰めたが、等の本人はそれに構うことなく、黙々と一人でずっと飲み続けていた。
手酌で飲み続ける花嫁の様子がどこかおかしいことに気付き始めた会場のあちらこちらから、ひそひそとした声が聞こえてくる。
「もう止めておけ」
ついにその振る舞いを見兼ねた一真が彼女の手からグラスを取り上げると、あろうことか梨果はそれを奪い返そうとした。
「いいから放っておいてよ」
そう言いながら立ち上がり、彼の方を向いた梨果の顔色が急激に青ざめる。
「梨果」
一真が顔色を変えて立ち上がった時には、すでに彼女は踵を返し、手袋をはめた手で口を押えたまま入口の方に駈け出していた。
「待てよ、おい、梨果」
後を追った一真よりも一瞬早く、誰かがドアをすり抜けていく。そして彼が外に出たちょうどその時、前を行く影が廊下にしゃがみ込んだ彼女を抱きかかえ、そのまま脇の方へと駆け出して行くのが見えた。
慌てて後を追ってみると、果たして彼女が連れ込まれた先は、女性用の化粧室の中だった。中を覗くと一つだけ扉の閉まった個室からは、苦しげに唸る声と絶え間なく水を流す音が聞こえてくる。
「おっとダンナの登場か。梨果、具合は……まぁ聞いての通りだな」
ドアの前に立つ男が中を伺いながらそう呟く。
一真よりも素早く反応し、途中で動けなくなった梨果を抱えてそこに連れ込んだのは、彼女の友人として唯ひとり招待された男、曽田だった。




≪BACK / NEXT≫ / この小説TOP へ
HOME






Photo by 7style